Memo

増田レポート


彼岸の入りの9月20日、南国市のアンジェブランで「田中とおる活動報告の会2014」があった。田中氏は、2011年6月に「宮城県を元気にする高知応援隊」として被災地視察とボランティアに一緒に行った仲間である。その年の11月の選挙に、「南国を子育て王国にする」と公約して立候補し、新人でありながら定員21名中7位当選を果たした。


報告会で、参議院議員の高野光二郎氏との対談があった。安部内閣が新しく打ち出した「地方創生」をテーマにし、その基本方針である「①若い世代の就労・結婚・子育ての希望の実現②「東京一極集中」の歯止め③地域の特性に即した地域課題の解決」を中心に、田中議員の質問に対して高野議員が答えた。
地方創生構想のきっかけは、増田寛也元総務相が座長を務める日本創成会議・人口減少問題検討分科会が公表した「消滅自治体リスト」,いわゆる増田レポートにある。1800の市区町村の約半数は、若年女性が2040年までに半数以下に減ってしまう消滅可能都市になり、523の自治体は人口が1万人を割り消滅の可能性が高いとというショッキングな予測である。
来年度には、地方創生に4兆円もの予算が組まれる。地方にとって活性化を図る大きなチャンスとなる。しかし、竹下内閣の「ふるさと創生事業」のような「ばらまき」政策ではないので、頑張って創意工夫するかどうかによって自治体に大きな格差が生まれる可能性がある。


増田レポートに対して,元・鳥取県知事の片山善博氏は,「当たらずとも遠からずであるが,政権がやりたいことをするための露払いに見える。平成の市町村大合併の前に,このままでは財政が破綻するというレポートと同時に,合併するとバラ色になるという政策が打ち出された。あのときの状況とよく似ている」と興味深い発言をしている。


片山氏は,次のような提言もされている。

政策の提案に忠実に従って,いろいろな施設を作ったが上手くいったものはなにもない。借金は国からの交付金で賄えるものと考えていたら,小泉政権の時の三位一体改革で,交付金を300億円も減らされ,自治体の財政は駄目になった。騙した政府も悪いが,政府を信じた自治体が悪い。冷静に考えれば,政府に自治体の借金の面倒を見れるほど余裕がないのは明白である。詐欺にあう人は何度もあう。政府は政策の失敗を決して認めない。同じ失敗をまた繰り返そうとしている。

各省庁が次々に打ち出してくる政策をそのまま受け入れるのではなく,自治体の持つ課題に対して自らを考え解決する努力が重要である。

地方が疲弊する原因は,外から買う物が多くて売る物が少ないため。エネルギーに支払う費用が圧倒的に多い。働いても働いてもエネルギー代として外に出ていく。外に出る金を止めるには,自然エネルギーの開発が必要である。鳥取県は,風力発電に力を注いだ。

公共事業は,雇用創出には無力である。県外から買う物が多い。公共事業は,補助金を半分もらってやるが,事業費の4割は土地代になる。その金は銀行に預金されるので眠ってしまう。地権者が亡くなれば,都会に住んでいる子供に相続され,金が外に出る。

ユンボーや特殊機械,アスファルト,セメント,鉄などの資材はすべて県外から買わなくてはならない。地元にあるのは砂利と水と土木作業員だけ。

県外から買う物として,食品も多い。醤油,油,タバコ,菓子なとがある。県外に売れるのは,一次産品のみ。付加価値のついたものはすべて県外から入ってくる。

地産地消できる仕組みを作らなければ地方は発展できない。


報告会の最後に田中徹氏は、来年の春の統一地方選で県議会議員に立候補すると決意表明された。彼のように勉強熱心で、情熱と行動力のある若い人が県議になれば高知県の未来は明るいと思った。

堀江貴文著の「ゼロ-なにもない自分に小さなイチを足していく」という単行本が大ブレイクしている。昨年の11月発売からわずか2ヶ月間で30万冊を突破した。ミリオンセラーになるのは間違いなかろう。

書籍の出版を野球の世界に例えるなら、1万部がツーベースヒット、10万部がホームラン。新刊発行点数が年間約78,000冊ある中で、ミリオンセラーとなるのは数冊である。奇跡に等しいといえよう。

 

 

堀江貴文は1996年の4月、東大に籍を置いたまま「有限会社オン・ザ・エッジ」を立ち上げた。1999年の売上げは2.6億円。2000年には11.6億円。毎年、29.2億円、58.9億円、108.2億円と倍々ゲームのように売上げを伸ばしていった。2004年には、社名を「株式会社ライブドア」に変更。近鉄バファローズの買収に乗り出し、2005年にはニッポン放送の筆頭株主になり、フジテレビとの関係を巡って世間を騒がせた。その秋の衆議院選挙に広島六区から出馬し、2万6千票差て惜しくも亀井静香に破れた。とは言え、わずか若干33歳の青年である。

 

その堀江貴文ことホリエモンが、昨年の6月4日に「堀江貴文ミリオンセラープロジェクト」を立ち上げ、これまでブラックボックスであった本の制作課程のすべてをニコニコ動画で公開し、原稿をインターネット「cakes」で連載。それを書籍化したものが「ゼロ」である。2年6ヶ月の実刑判決の刑期満了となった昨年の11月に出版した。

プロジェクトには、「さおだけ屋はなぜ潰れないのか」編集者・柿内芳文、「もしも高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」編集者・加藤貞顕、「16歳の教科書」ライター・古賀史雄、ダイヤモンド社書籍編集局局長・今泉憲志など錚々たるメンバーがいる。

100万部達成には、ドブ板営業が必要ということで、書店での「サイン&握手&ツーショット写真撮影会」を展開する一方、多くの人たちに直接「一歩を踏み出す勇気」を伝えたいと東京、札幌、仙台、大阪、広島、福岡で1000人規模の会場で無料講演ツァーを行っている。

 

単行本「ゼロ」の中には、堀江氏のこれまでのエピソードや仕事に対する考えが紹介されている。私の印象に残った箇所を選んで以下に列記する。仕事を成功に導く上でとても参考になる話である。

 

会社を起業してから数年間は、私生活のすべてを捨てた。友達とも連絡を取らず、大学に行くことも、飲みに行くこともない。会社にベッドを置いて、毎日のように泊まり込むような生活だ。睡眠時間以外はすべて仕事にあてた。 夜中になって、「サーバーに不具合に不具合が出た」と連絡が入ると、データセンターまで駆けつけ、朝まで一人黙々と復旧作業に明け暮れる日々が、3~4年は続いた。365日ずっと臨戦態勢だ。週末だろうと盆や正月だろうと仕事にどっぷりはまっていた。

 

 懲役期間中は「懲罰としての仕事」が課せられる。最初に与えられた仕事は、無地の紙袋をひたすら折っていく作業だった。与えられたノルマは1日50個。担当者から折り方のレクチャーを受け、早速作業を開始する。最初は時間内にノルマを達成するのがギリギリだった。担当者から教えてもらった折り方をゼロベースで見直し、自分なりに創意工夫を凝らしていくと、3日後には79個折ることができた。ペースが上がると単純に楽しいし、うれしい。
仕事の喜びとはこういうことから始まる。もしも、マニュアルどおりの折り方で50枚のノルマをこなすだけだったら、楽しいことなど一つもなかっただろう。いゆわる「与えられた仕事」だ。
自分の頭で仮説を立て、実践し、試行錯誤を繰り返す。そんな能動的なプロセスの中で、与えられた仕事は「つくり出す仕事」に変わっていく。 能動的に取り組むプロセス自体が、「仕事をつくる」ことだ。

 

人は「仕事が好きだから、営業に没頭する」のではない。順番は逆で、「営業に没頭したから、仕事が好きになる」のだ。 仕事が嫌いだと思っている人は、ただの経験不足なのだ。仕事に没頭した経験がない、無我夢中になったことがない、そこまでのめり込んだことがない、それだけの話しだ。

没頭するには、自分でルールつくり、「今日という一日」にギリギリ達成可能なレベルの目標を掲げ、今日の目標達成に向かって無我夢中になること。

「できっこない」という心のフタを外してしまえば「やりたいこと」なんて湯水のように溢れ出てくる。 物事を「できない理由」を考えるのか、「できる理由」から考えるのか、それだけだ。突き抜けられるかどうかは能力の差ではなく、意識の差だ。

 

信用を獲得していくためには、絶対に乗り越えていかなければならないハードルがある。80の力しかないのに100の仕事を引き受け、それを全力で乗り越える。すると次には120の仕事を依頼してもらえるようになる。信用とはそうやって築かれていくものなのだ。人は「ここでいいや」と満足してしまった瞬間、思考停止状態になる。

 「悩む」と「考える」との間には、決定的な違いがある。「悩む」とは問題を複雑にしいく行為。ああでもない、こうでもないと、ひとり悶々とする。人は悩もうと思えばいくらでも悩むことができる。 「考える」とは、物事をシンプルにしていく行為である。複雑に絡み合った糸を解きほぐし、きれいな一本の糸に戻していく。アインシュタインの特殊相対性理論がE=mc2というシンプルな関係式に行き着いたように、簡潔な原理原則まで落とし込んでいく。それが「考える」という行為である。

 

 

2014年1月25日(土)

朝一番の飛行機で家内と東京へ。東京プリンスホテルで12時15分からある「致知 創刊35周年新春特別講演会」に出席するため。講師の顔ぶれは、昨年、満80歳でエベレスト登頂の偉業を成し遂げた冒険家・三浦雄一郎、80歳でなお且つベストセラーの小説家として活躍されている五木寛之、昨年、創立35周年目にして発行部数が10万冊を突破した人間力養成誌「致知」の代表・藤尾秀昭の3氏。二階の鳳凰の間に、全国各地から定員の1000名を超える1250名の致知ファンが集まっていた。

開場が11時であったので、その時間に行くと受付にはすでに長蛇の列ができていた。

 

「夢をかなえる力 80歳、挑戦!」と題する三浦雄一郎氏の講演は、飲み放題食い放題生活を続けていたら60歳の時に身長は165cmしかないのに体重は88kgまで増えメタボになっていた。標高500mの札幌藻岩山にも上れない情けない身体になっていた。父親は95歳から97歳の間に3回も骨折したがそれを克服し、が99歳でモンブランの山頂からスキーで滑走して世界を驚かせた。フランス青少年厚労省も授賞した。それに触発されてエベレスト登頂を決意。歩くときは左右の足首に5kgの重り、背中のザックには25kgの重りを入れて訓練した。出張で出かける時は、代々木の東京事務所から東京駅までその格好で歩いた。70歳。75歳、80歳でエベレスト登頂に成功した。

心臓の血管が60%詰まっていたが、江坂先生に二回の手術をしてもらって、75歳でエベレストに登った。半月板損傷で膝を悪くしていたが、76歳の時に半月板が3.8mm復活していて医者が驚いた。

「あきらめなければ夢は叶う」「できない理由を思い浮かべるのではなく、できることは何かを考えて、最後の最後まであきらめないことが大切」「病は気から、あきらめずに努力をしていると軌跡が起きる」「85歳のときにヒマラヤの8201mの山頂からスキーで滑走することを夢見ている。どうせやるなら命がけで人生を楽しみたい」という感動的な話であった。

 

「いま生きる力」と題した五木寛之氏の講演は、「うつ」にどのように対処すればよいかという話であった。日本人の1000万人が鬱などの精神障害にかかっている。癌や腰痛の原因はストレスと言われている。すべての原因がストレスと言われるようになり昔は周辺医学であった精神科が医学の分野の花形となっている。

うつのときは心が萎えているとき、しなっているときである。柳のように心がしなることで、折れないためである。いつも頑張る必要はない。といった話であった。

 

最後の藤尾秀昭代表の講演は「先達に学ぶ」。

 

 

 

 

 

2013年4月4日(木)

15年間物価が下がり続けたデフレ不況からの脱却を図るため,アベノミクスの第一矢が放たれた。

緊急緩和策が黒田日銀総裁から発表された。2年で2%の物価上昇を図るため,国債を毎年60兆円から70兆円購入し,昨年の12月末に138兆円であったマネタリーベースを2014年度末には270兆円にすると発表があった。

2014年4月に消費税が5%から8%に,2015年10月には消費税が10%に上げられる。それにより,物価は現在よりも11%押し上げられる計画のようであるである。

2012年10月24日(水)

四国銀行と四国キャピタルリサーチ共催の経営講演会が18時より高知市文化プラザかるぽーとであり、ロイヤルコンサルタントの伊藤文夫君と一緒に参加させていただいた。講師は小説家の江上剛氏。演題は「時代を生き抜く経営力」。第一勧銀での勤務などご自身の体験に基づいた話であった。

経営で大切なのは「現場、自力、本業」。自分の足で歩いて現場を見て考え、常に危機感を持って他力を当てにすることなく、強みを活かして本業に専念すること。そして、もの創り(イノベーション)、価値づくり(バリュー)、市場つくり(マーケット)をすること。全てのベースになるのは信頼と信用。

大型液晶テレビで失敗したシャープ、フィルム製造の技術を化粧品に活かしたフジフィルム、値段は高いが品質とサービスにこだわったワコールのマラソン用タイツ、頭髪が生えてくる育毛シャンプー、満足を超えた感動を生む顧客サービスのリッツ・カートン・ホテルなど実例を紹介しながらの話は、とても分かり易かった。

日本人は、江商人の「三方良し」のように素晴らしい文化を持っている。日本人は「借りた金は返さなければいけない」 と思うが、中国にはそのような文化・習慣がない。如何にして返さないかを考えている。中国でイトーヨーカドーのセブンイレブンが成功したのは、金の返済、従業員の給料の支払いは期日を守る、商品の品質にこだわるという信用第一の商売に徹したため。

インドで電気炊飯器を販売してもらった会社に代金を集金に行くと、頼まれて売ってあげたのに払う必要がない断られた、日本人の常識が通用しない。

韓国では、留学させるため子供を連れて渡米した妻に夫が毎月仕送りをし、年に1度アメリカに会いに行っている。このような父親をキロギ・アッパ(渡り鳥の男)と呼んでいる。定年退職しても天下り先がないので皆山登りをしている。定年の際の挨拶は「山で会おう」。

会社経営をする上で大変勉強になった。

 

江上氏の冒頭の挨拶で驚いたことが2つあった。1つは「四国には何度もきているが高知は初めて」、2つは「マラソンをしている。ベストタイムは3時間46分」と言われたこと。

今年の3月に四国では初めてとなる日本技術士会の地域本部長会議が高知であった。会場が高知になった理由は、日本で唯一足を踏み入れたことがない高知に行きたいと内村会長(鹿児島出身)が言われたため。観光地としては人気があるが、産業がないので仕事で来る機会のない県なのだろうか。

 

最近ノーベル賞に輝いた山中伸也教授もマラソンをしており、今年3月の京都マラソンのタイムが4時間3分。二人とも超多忙であるにも関わらず素晴らしいタイムを持っている。始められた動機も同じで、仕事に追われウツ状態になっため。

私がマラソンを始めたのは平成19年。社長に就任した年である。9月頃から全身に湿疹が出始めた。皮膚科や内科に通ったが治らないのに、糖尿病対策としてジョギングを始めたところ新陳代謝が良くなったためか湿疹が消えたことがきっかけである。今思えば、ストレスが原因だったのだろう。

先日の四万十川ウルトラマラソン100kmの部の優勝は、男子・女子とも医師。最近マラソンブームになっているが、医師など多忙な人が多い。ストレス解消効果が大きいためだろうか。

 

2012年5月18日

特月楼で食事をしながら江崎郁夫氏から聞いた話

江崎氏は徳大電氣工学科を卒業してアルス製作所で橋梁の設計に携わっていたが,退職して昭和51年 に,フジ設計工務有限会社を設立。

一時期,仕事がなくなり社員を全員解雇して,自分は土方の人夫をしながら凌いでいた時期もあったように噂で聞いていた。

今では,社員65名,売り上げ3.8億円の立派な会社になっている。

同じ年に高橋信行氏は,高松に株式会社四国技術管理センターを設立した。資本金600万円。
高橋信行氏は早稲田法学部卒で江崎氏と同い年。現在はティネットジャパンに社名を変え,資本金2.6億円。社員1300名、グループ全体では2000名、
高橋氏は会社を創ったときから売り上げを○○億円にすると大きな夢を語っていた。夢の大きさの差が現在の会社の売り上げの差になっている。

 

高知工科大学理事長 岡村甫氏の提言  2011.10.3 建設工業新聞

5月に尾崎知事に提言

提言1 南海地震の被害予測とその対策

①高知工科大学地震・津波防災研究会

 東大地震研究所の堀宗郎教授が開発中の「統合地震シミュレーションシステム」を活用させて貰って、スーパーコンピュータを用いて南海地震による高知県全域の被害と防災施設の効果を予測。

②地震・津波防災ネットワーク

 東大の堀宗郎教授や古村孝志教授、東北大の今村文彦教授ら各分野の最先端にいる先生方に参加して頂き、被害予測の結果を多面的に評価してもらう。

提言2 県民が安全安心に暮らすための「創知の杜」構想

 山の南斜面に養護・介護施設と寄宿舎付きの小中学校を建設する。月~金は寄宿舎で過ごし、週末には家に帰る。

経歴

 1938年生まれ、61年東大工学部土木科卒、82年東大工学部教授、96年工学部長、99年高知工科大学副学長、01年学長、09年理事長。

 99年土木学会会長、01年紫綬褒章

 

2011年10月26日(水)11時より、中田教授、西岡南海男常務取締役を交えて理事長と面談。

甲斐芳郎工科大教授が中心となり、県内のコンサルタントと一緒に解析。その結果は市町村に提供するが有料。県外コンサルタントにやらせるのではなく、県内のコンサルタントを育成する必要がある。

11月7日に「地震・津波防災の最先端-来るべき南海地震に備えて」で岡村理事長の決意を再確認。