最近思うこと

中村医師の「築土構木」

 

 12月5日付高知新聞で、中村哲医師が銃撃され死亡したことを知った。中村さんはアフガニスタンやパキスタンの国境付近で、貧困層への医療活動に長く関わってきた。2000年に大干ばつがあり、飢餓に見舞われ多くの人々が栄養失調や病気で死んでいった。

 「医者を百人連れてくるより水路を一本つくったほうがいい」そう考えた中村さんは白衣を脱ぎ、地域の農民たちと一緒に灌漑(かんがい)用の水路の建設に乗り出した。

 着工から七年かけて総延長27キロのマルワリード用水路をつくった。死の谷と呼ばれ草木一本育たなかったガンベリ砂漠は、大河クナール川からの水によって広大な緑の大地へと生まれ変わった。三千ヘクタールの田畑が潤い、約10万人の生活を支えられるようになった。

 中国の古典『淮南子(えなんじ)』に、次の意味の記述がある。「昔、人々は湿地に住み、穴ぐらに暮らしていた。冬は霜雪、夏は暑さや蚊、アブに悩まされていた。聖人が人々のために土を築き木を構えて室屋を作ったので、人々は安心して暮らせるようになった」

 文中に出てくる原文「築土構木(ちくどこうぼく)」が土木の語源である。中村さんこそ聖人であり、その活動は、まさに土木事業そのものであった。

高知新聞「声ひろば」2019年12月16日

「工業ハ富国ノ基」

 

 高知県立高知工業高等学校と石川県立小松工業高等学校は、姉妹校の関係にある。両校の「建学の祖」は、宿毛市出身でコマツ(株式会社小松製作所)の創業者・竹内明太郎(1860~1928年)である。

 両校生徒の就職状況のあまりの違いを知って驚いた。平成31年春、民間企業へ就職した生徒数は、高知工業高は120で53パーセントが県内である。小松工業高は、182人の就職者の96パーセントが県内である。42パーセントに当たる77人は、小松市内に就職している。コマツとその関連企業が、雇用の受け皿になっているのである。

 両校の県内就職率とよく似た数値に、測量・設計委託業務の県内企業受注率がある。建設コンサルタンツ協会四国支部の調べによると、平成29年度に高知県土木部が発注した委託業務は87億5千万円で、県内企業が受注したのは51パーセントの44億5千万円である。隣の徳島県は74億6千万円の発注額の89パーセントに当たる66億5千万円を県内企業が受注している。

 高知県の人口は、毎年約7千人減って、昨年6月、ついに70万人を割った。原因は高齢化もあるが、約2千人は若者の県外転出である。

 高知県土木部が発注する委託業務全てを県内企業が受注できれば、測量・設計業界だけで新たに約5百人の雇用を生み出すことが可能になる。竹内明太郎が理念とした「工業ハ富国ノ基(もとい)」の重要性を痛感している。

高知新聞「声ひろば」2019年10月25日

京都の魅力

 

  京都は米国の旅行雑誌『トラベル・アンド・レジャー』が行った世界人気都市ランキングで、昨年に続いて今年も第1位になった。

 金閣寺、清水寺に代表される神社仏閣、京都御所などの歴史的建造物、精進料理など洗練された日本料理、芸妓との出会いを体験できることなどが高く評価されているようである。しかし、それら以上に魅力的なのは、京都の人々の心の美しさではないかと思った。

 7月22日、講演の依頼があったので京都に行った。夕方、ホテルにチェックインしようとして財布がないのに気がついた。

 京都駅から講演会場まで乗ったタクシーに忘れたか、会場で上着を脱いだ際に落としたに違いない。財布には、現金以外に運転免許証や健康保険証、銀行のクレジットカード、それに明日乗る東京行き新幹線の切符、帰りの飛行機のチケットなども入れてある。

 困り果てていたところ、講演を終えてホテルまで乗ってきたタクシーの運転手が財布と名刺入れが座席に落ちていたと言ってわざわざホテルまで届けに来てくれたのである。運転手が神様の化身でないかとさえ思えた。そして、京都が今までの何倍も好きになった。

高知新聞「声ひろば」2015年7月23日

橋梁模型コンテスト

 

 1月11日、第7回高校生橋梁(きょうりょう)模型コンテストが高知工業高校であった。審査は、模型強度、強度を質量で割って求める軽量指数、デザイン性を総合的に評価する。強度は2回の載荷試験で決める。載荷するのは製作者が事前に申告した荷重である。模型が1分間持ちこたえられれば、その荷重が認定される。最高強度は、一昨年が30キロ,昨年が31キロ、今年は43キロ。先輩の経験が後輩に引き継がれ、創意工夫することで記録が塗り替えられている。

 優勝は強度40キロの京都,伏見工業の南出さんの作品に決まった。アーチ橋であった。接着剤を使用せず部材を接合するという驚くべきアイディアがあった。高知工業の山崎君と吉田君の共同作品は、50キロの荷重にしばらく耐えたが1分間持ちこたえられなかった。49キロでトライすれば大記録を樹立できた可能性がある。残念であった。

 今年の作品は、実務者では思いもよらないユニークなデザイン性に優れた作品があった。若い人は頭が柔軟である。既成観念にとらわれることなく自由な発想ができる。このような若者が力を発揮できる環境を作ってやれば、高知県の将来は明るくなると思った。

  高知新聞「声ひろば」2014.1.18(土)

 

神様にほめられる生き方

  

 11月3日と4日の連休を利用して奈良の世界遺産巡りをしてきた。 春日大社権宮司の岡本彰夫さんが書かれた「日本人だけが知っている神様にほめられる生き方」を読んで行きたくなったのである。

  東大寺、薬師寺、法隆寺、金剛力士像、千手観音菩薩像、阿修羅像などを見た。宮大工や仏師の神業とも思える技術のすごさ、そして職人としての誇りと使命感を感じた。

  その夕方、奈良万葉若草の宿三笠のメニュー偽装を知った。ミシュランガイドにも紹介されているあの高級旅館三笠である。この日の観光コースの最後が若草山頂であり、旅館三笠の横を通って山頂に登った。このような高級旅館に一度泊まってみたいものだと家内と話していただけに余計にショックが大きかった。

  台湾人がよく使う言葉に日本精神がある。「嘘をつかない」「不正なお金は受け取らない」「失敗しても他人のせいにしない」「与えられた仕事に最善を尽くす」を意味している。日本には日本精神がなくなってしまったのだろうか。神様にほめられる生き方は忘れられてしまったのだろうか。他人をだますことはできても自分をだますことはできない。

 高知新聞「声ひろば」2013.11.12(火)

ついでで行けない高知

 

 県は,「わざわざ行こう!志国高知へ」というキャッチコピーで観光客の誘致に力を入れている。このキャッチコピーを意識させられる出来事が何度かあった。

 最近,公共事業で使用する技術基準書を執筆されたU氏に,研修会の講師として高知へ来ていただいた。U氏は大手建設コンサルタント会社に勤務しており,仕事で全国を回っておられる。松山や高松には何度も行っているが,高知だけは初めてということであった。

 昨年の3月,日本技術士会の本部長会議が高知であった。「全国で唯一,足を踏み入れたことがない高知に行きたい」という会長の強い希望で会場が決められたのである。同行されていた副会長からも高知は初めてと聞き,驚いた。

 昨年の10月には作家の江上剛氏の講演を聴く機会があった。冒頭の挨拶で,「四国には何度も来ているが高知は初めて」と言われた。

 高知は観光地として魅力がある。しかし,仕事をしていると,観光旅行する時間はなかなかとれない。仕事に行ったついでに観光する以外にないが,大きな企業がない高知を訪れる機会は少ないのだろう。「わざわざ」でなければ,高知には行けないのである。

高知新聞「声ひろば」2013.4.30(火)

若者の雇用問題

 

 今年,成人式を迎えたのは全国で122万人。最も多かった昭和45年の246万人に対して半数を初めて下回った。

 セイコーホールディングスが新成人に行ったアンケート調査で,自分の将来に不安を感じるか質問したところ,「感じる」「多少は感じる」が90%にのぼり,「就職難・雇用不安」を理由として挙げた人が圧倒的に多かったと報じられていた。

 リクルートワークス研究所の調査によると,民間企業への就職を希望する大卒者は,近年は毎年45万人で横ばい状態にある。しかし,求人数は平成20年に93万人(求人倍率2.14倍)であったものが平成25年には55万人(求人倍率1.27倍)まで落ち込んでいる。

 建設業は現在人手不足である。東日本大震災の復旧復興,南海トラフ巨大地震対策などで公共事業が大幅に増えているためである。調査測量設計を行うわれわれの業界では,昨年から猫の手も借りたいほど多忙である。働く意欲のある若者は,国民が安全安心に暮らすことができる「強靱(きょうじん)な国土形成」の仕事に携わっていただきたいものである。

 現在の若者は安定志向が強く,公務員や大企業を志望する人が多い。地方の中小企業でも安心して働ける仕組みを国の施策としてつくることができれば,安倍政権が目標としている雇用拡大とデフレ不況からの脱却が一気に実現すると思う。

高知新聞「声ひろば」2013.1.25(金)

事業継続計画の必要性

 

 東日本大震災の津波は、想像を絶するものであった。人、自動車、家屋、一切合切をのみ込む様子は、数多くの人がビデオカメラ等で撮影しているが、まるで地獄絵を見せられる思いであった。

 未曾有の津波被害をもたらしたのは、プレートの破壊域が広範囲に及んだことと断層破壊速度が遅い「ぬるぬる地震」であったことが原因とされている。東海、東南海、南海、日向灘の四つのプレートが連動し、今回のような低速度破壊を起こすと、高知県での津波高も従来の予想を遙かに超える可能性がある。東日本大震災は高知県人にとって人ごとではない。

 高知県測量設計業協会(代表・橋口孝好)は、南海地震に備える目的で15人の調査団を結成し、「宮城県を元気にする高知応援隊」(代表・宮地貴嗣)とともに6月17日から4泊5日の日程で宮城県の被害状況を視察してきた。

 現地で見聞して感じたことは「津波は一切合切を奪い去る。生きる希望さえも奪う。しかし、職場と仲間が残れば再起に向けて頑張れる」「震災復旧には、地元の建設会社、測量設計会社の果たす役割が極めて重要になる」ということである。

 高知県内では、南海地震を想定した事業継続計画(BCP)に取り組む企業が増えているが、その必要性を強く認識させられた。

高知新聞「声ひろば」2011年7月10日

 

 

決断への行動指針

 

 行動指針として手元に置いておきたい本に出会った。『0・3秒60点の世界』。キャッチコピーである「質問者に対して即座(0・3秒)に、概ね(60点)の回答をすべし」が本の題名になっている。

著者は国土交通省四国地方整備局長などのキャリヤを積まれた福田昌史氏。経験に裏打ちされた示唆に富む言葉がエピソードを交えて紹介されている。

 例えば危機に関しては、「最も重要視されるのは情報の迅速さである」「第一報は不完全なものであるという認識を持っておくべきだ」「優先すべきは〈何が〉〈何人が〉であり、〈なぜや〉〈いかにして〉などは後からでもよい情報」と断じる。

 そして「抽象的で曖昧な指示が現場の対応を混乱させる。危機時には二者択一の〈やる〉か〈やらない〉か、〈YES〉か〈NO〉しかない」とあり、「〈検討してみる〉〈様子をみる〉といったことは決断の回避、延期、保留でしかない。トップの不決断は誤った決断よりも罪が重い」などが書かれている。

仕事をしていると、難しい判断を迫られるときがある。即断即決を求められるときもある。そのようなとき、この本は決断を助けてくれる。

高知新聞「声ひろば」2009年2月10日

 

 

見事な橋梁模型作り

 

 四国高等学校土木教育研究会(平田健一会長)が主催する「橋梁模型コンテスト四国大会」が先日、高知工業高校で開かれた。

 5人の高校生が支給された角棒やバルサ材、たこ糸などを用いて、橋長1メートル、幅員10センチメートルの模型を2時間半で製作し、完成度、耐久性(十五キログラムの荷重に1分以上耐える)、加工の精密度、アイディア、美しさ、橋の軽さ、作業態度の七項目について競った。

 真剣な表情で黙々と製作に励む生徒達に頼もしさを感じた。工夫を凝らした模型を短時間に製作する技能にも驚かされた。半年かけて取り組んできた課題研究の成果は見事であった。

 力が加わると構造部材がどのように変形し、破壊するのかをイメージできない技術者が増えている。マニュアル化が進み、物事を観察して創意工夫する機会が無くなっているためである。

 橋梁模型コンテストは、橋の種類や構造を学ぶだけでなく、何度も製作し載荷試験を繰り返す中で、力学の原理を理解し、技術者としての感性を自然と身につけることができる。実務に携わっている若い技術者の教育にも適している。

 高校生に混じって実務者も技を競い合えるようにすれば教育効果はさらに高まるように思われる。

高知新聞「声ひろば」2008年12月18日

 

 

本山チームの播磨屋橋に期待

 

 よさこい祭りの幕開けだ。6日の本紙で本山町「本山さくら」チームの地方車を飾る播磨屋橋の模型が紹介されていた。

 製作現場を見せてもらったが、保存されていた播磨屋橋の図面を基に、二分の一のスケールで復元したという模型の出来映えは見事である。大阪城の建築にも使われたという嶺(れい)北杉(ほくすぎ)を使用していることもあるが、擬宝珠(ぎぼし)高欄(こうらん)、庇(ひさし)、橋桁(はしげた)が実に精緻に再現されている。

 材料は半分でも製作手間は実物と同じだけかけたというだけあり、職人の誇りが感じられる。数百万円の価値はある。地方車の飾りとして使うだけではもったいない。

 播磨屋橋は日米合作映画「The Harimaya Bridge はりまや橋」のロケに使用されていて話題性がある。ネットオークションにかければ、想像を超えるような高値で売れるような気がする。

 今は情報化の時代である。播磨屋橋模型が高値で売れると、嶺北杉のブランド化を一気に進めることができる。嶺北杉独特のピンク色の木肌を活かして作った工芸品は、高級ブランドとしての価値が十分ある。高知での需要は少なくても、全国や世界に目を向ければ大きな市場がある。今年のよさこい祭りは、嶺北を売り出す絶好のチャンスである。本山町出身の土木技術者の一人として声援をおくりたい。

高知新聞「声ひろば」2008年8月9日

 

 

瀬戸大橋の橋上八キロを完走して

 4月13日の日曜日、瀬戸大橋の開通20周年を記念して開かれた橋上イベント「健康マラソン・健康ジョギング・健康ウォーク」のジョギングに応募していたところ運良く当選し、妻と友人の3人で8キロを完走してきた。

 半年前から私の顔や全身に原因不明の湿疹(しっしん)が出始めていた。皮膚科や内科で薬をもらっていたが治る様子はなかった。

 ところが近ごろ、湿疹がほとんど出なくなり、荒れていた肌もすべすべしてきた。1カ月ほど前からは健康ジョギングの時間内完走を目指して、毎朝15分から20分、軽く走っていた。走ると汗をよくかく。汗をかけば水を飲む。その結果、新陳代謝が良くなってきたためでなかろうかと思っている。

 最近、同世代の知人から「湿疹が全身に出始めた。薬を飲んでいるが効かない。研究発表などで出張したときに湿疹がよく出る」という話を聞いた。精神的ストレスの蓄積が原因と考えられる。薬よりも走るのが効くのかも知れない。

 瀬戸大橋の健康ジョギングに参加して、大勢の人と一緒に走ることの楽しさを覚えた。ジョギングよりはマラソンがさらに楽しいに違いない。

 橋上健康マラソン参加者の最高齢は土佐市高岡町の青木壮太郎さん86歳で、15キロを2時間で完走している。1キロを8分の速度は今回の私のタイムと同じである。

 私も次はハーフマラソン、その次はホノルルマラソンを夢見て頑張ろう。健康のために。

高知新聞「声ひろば」2008年4月22日

 

 

中越沖地震による家屋倒壊の原因は

 

 新潟県中越沖地震が発生した直後の7月20日、被害調査に行ってきた。

 道路や鉄道など土木構造物の被害は比較的軽微であった。斜面崩壊も少なかった。ところが、木造住宅とブロック塀の倒壊は柏崎市を中心に非常に目立った。土壁で日本瓦屋根の古い住宅が跡形もなく崩壊しているのが随所で見られた。

 2004年の中越地震では関越自動車道の擁壁(ようへき)の倒壊、上越新幹線の橋梁やトンネルが随所で破損し、各地で斜面崩壊が見られたが、被害が甚大(じんだい)であった小千谷市でも今回のようにペッチャンコに潰れた家は少なかった。

 2つの地震の最大加速度を比較すると、中越地震による小千谷市(おぢやし)の1308ガルに対し、今回の地震は柏崎市(かしわざきし)が455ガルで中越地震の3分の1であった。

 今回、家屋倒壊が多かった理由として「キラーパルス」説と「なぎさ現象」説がある。前者は地盤の液状化によって地震波の周期が木造家屋の周期と同じ長さになり、共振現象で家屋を大きく揺すったとする説。後者は沖積層(軟弱地盤)が堆積(たいせき)する縁辺の層厚が急変する付近で地震波が増幅したとする説。

 今回の地震では、家屋被害が加速度の大きさだけで決まらないことをあらためて認識させられた。

高知新聞「声ひろば」2007年8月12日

 

 

“天上”に架かる日本一のつり橋

 

 地方の多くが瀕死(ひんし)の状態にある中、連日、観光客でにぎわっている町がある。大分県の九重町である。120億円を投じて建設した人専用としては長さも高さも日本一という「九重(ここのえ)”夢(ゆめ)”大吊(おおつり)橋(ばし)のオープンから五カ月で入場者が百万人を突破したというからすごい。何が人々をそこまで引きつけるのかを確認できればと思い、5月の連休を利用して見に行ってきた。

 現地に着いたのは5日の15時すぎ。あいにくの小雨であった。それでも乗用車二百台、大型バス三32台を収容する駐車場は満杯状態。橋の上は土産物店で販売している雨がっぱ姿の人で溢れていた。狭い橋の上で傘を広げるのを禁止しているためである。

 一時は濃霧のため視界が遮られたが、山水画を思わす幻想的な風景を楽しむことができた。霧が晴れると日本の滝百選の「震動の滝」、新緑で覆われた「九酔渓」、雄大な「九重連山」が目の前に現れた。周囲の景観に溶け込んだ橋の美しさは筆舌に尽くし難い。「天空の散歩道」と形容するだけのことはある。

 ここには四季折々の美しさを見せる自然が残っている。近場には「阿蘇くじゅう国立公園」、「湯布院」、「別府」といった観光名所がある。これらが吊橋の魅力を一層高めていると思えた。

高知新聞「声ひろば」2007年5月12日

 

 

候補者に期待する具体策と行動力

 

 今、東京では、六本木の防衛庁跡地に誕生した東京ミッドタウンタワーをはじめ超高層ビルが次々と建設されている。首都圏三環状道路を形成する首都圏中央連絡自動車道、東京外郭環状道路、首都高速中央環状線の工事も急ピッチで進められている。かつてないほどの建設ラッシュである。

 それに引き替え高知県はどうであろうか。高知市の商店街は目に見えて衰退している。中山間地域では高齢化と過疎が進んでいる。生活の基盤である道路には、轍(わだち)掘れ、舗装の亀裂が目につく。地すべりの影響を受けて傾斜したままの擁壁が随所に見られる。

 先日、私のふるさとである本山に帰った時、区長をしている友人が「以前は町で舗装を直してくれていたが、数年前からは機材を町から借りて地区の有志で直している。最近は町の財政が苦しくなって資材さえも買ってもらえない」と嘆いていた。今は友人たちが力を合わせて地域を守ってくれている。しかし若くはない彼らに、いつまでも頼れない。

 4月8日投票の県議会議員選挙を皮切りに統一地方選挙が始まった。高知県の活性化と、安全で安心して暮らせる環境整備に対して具体策を持ち、熱意と行動力がある候補者に一票を投じたいと思っている。

高知新聞「声ひろば」2007年4月7日

 

 

「人間愛」など魅力 大和ミュージアム

 

今、広島県呉市の「大和ミュージアム」が注目を集めている。入場者数は半年で百万人。現在も衰えることなく増加気味というからすごい。

 目玉は戦艦大和の十分の一の模型。模型といっても全長が二十六メートルあるので迫力満点。

 模型の製作に携わった人々の情熱については、館長の戸高氏の著書『戦艦大和復元プロジェクト』(角川書店)に詳しく書かれているが、NHKの「その時歴史が動いた」でも放送されたようである。12月17日封切りの映画「男たちの大和/YAMATO」では、大和の模型が主役を演じている。これらの相乗効果の影響も大きいが、人気の秘密は大和ミュージアムに充満した人間愛と技術者魂にあるように思う。

 戦艦大和の見事な出来映えには、企業の利益を度外視して製作に携わった人々の心意気が感じられる。館内に展示された戦時中の遺書や手記からは国や家族を思いやる当時の人々の深い愛情が伝わり胸を熱くする。海軍工廠(こうしょう)の製作図面や論文集には、常に一つ上の技術を目指し続けた技術者の熱意がみなぎっている。

 最近は、技術者倫理や企業倫理が問われる偽装事件や談合問題、畜生にも劣る児童虐待・幼児殺害事件が多発している。それだけに、失われつつある「古き時代の日本人の心」を思い出させてくれる大和ミュージアムの存在をよけい素晴らしく感じた。

高知新聞「声ひろば」2005年12月16日

 

 

高知県技術士会被災現場の調査も

 

 本誌8日付朝刊と10日付夕刊で、新潟県中越沖地震に関する私のコメントが紹介された後、「高知県技術士会とはどのような組織か」という問い合わせがありました。技術士をご存じない方も多いと思いますので、紹介させていただきます。

 技術士とは、技術士法で「科学技術に関する高等の専門的応用能力を必要とする事項についての計画、研究、設計、分析、試験、評価又はこれらに関する指導を行う者」と定義されています。文部科学省が実施する技術士試験に合格した者に与えられる称号です。

 技術士には化学、勤続、建設、水道、農業、林業、水産、応用理学、環境など二十の部門があります。医師や建築士のように、業務を独占する資格ではありませんが、官公庁が造る橋や道路などで、高度な技術を要する設計をするには、技術士の資格が必要になっています。

 高知県技術士会は、県内に在住する技術士で組織された任意団体で、現在百十人が所属し、会誌の発行、講習会、技術士受験指導などを行っています。阪神大震災の後で橋本知事を訪問し、災害ボランティア活動宣言をしています。今年の早明浦豪雨災害では、本山土木事務所の要請で、被災現場の調査と復旧対策のアドバイスをさせていただきました。

 防災、災害復旧などに関する相談をされるときには、事務局「第一コンサルタンツ内(885-2124)」までご連絡ください。

高知新聞2004年12月15日