台湾人について思う

台湾人の日本への思い


 坂本龍馬財団(代表理事森健志郎)の台湾旅行団35名の中に加えていただき、元台湾総統の李登輝ら台湾を代表するオピニオンリーダーの方々に会ってきた。
 行く先々で豪華な料理やお土産などのおもてなしを受け、貴重な話を聞くことができた。
 「戦後まで50年間続いた日本統治時代、日本ほど良心的な植民地政策を取った国はなかった。日本はインフラ整備に膨大な金と人材を注ぎ込んだ。それも、投入した資金が直ぐには回収できない医療や教育に力を入れた。これがなければ、今日の台湾の発展はなかった」
 「戦前の日本人には使命感に燃え、遵法精神が強い立派な人が多かった。先生は皆日本から来ていたが、戦後に教え子から台湾に招かれていない先生はほとんどいない。何回も来ている。当時の先生が如何に台湾の子供たちのために一生懸命教育してくれたかを証明している」
 お会いした皆さんが親日家であることは知っていたが、戦前に台湾で生まれ、日本の教育を受けた人は、私が想像していたよりもはるかに日本人であったことを誇りにし、日本に感謝しておられることを知ることができた。

 

 

 台湾人は大変な親日家


 昨年の3月11日に起きた東日本大震災に対して,台湾から200億円を超える義援金をいただいた。台湾は人口が2300万人。平均所得が160万円であることを考慮すれば義援金額はダントツ世界一である。
 1999年の921台湾集集大地震や2009年の豪雨災害で日本から受けた支援への恩返しということもあろうが,それだけではない。
 台湾には親日家が多い。1895年(明治28年)から1945年(昭和20年)までの50年間,台湾は日本の統治下にあり,台湾総督府が置かれていた。日本人の手によって学校教育,上下水道の整備,発電・灌漑事業などが行われ,台湾の発展に多大な貢献をしている。
 これまでの台湾旅行でも、台湾人の方に随分とお世話になったが、今回の旅行ほど李登輝先生、林蒼生総裁、許文龍会長をはじめ親日家とされる人々の日本に対する強い思いを感じたことはなかった。


 許文龍会長からいただいた「台湾の歴史」を読むと、以下のようなことが書かれている。


 過去300年の台湾の歴史を考えると、まずオランダ人時代、鄭成功(ていせいこう)時代、清朝時代、日本統治時代、国民党時代(蒋介石、蒋経国)があるが、台湾と台湾人民にとって一番貢献があったのは、日本である。第二位はオランダである。鄭成功と蒋介石を英雄と言っているが、鄭成功の目的は「反清復明」(清朝を倒し明朝を回復する)であり、国民党の「光復大陸」(大陸に光栄ある復帰をする)と似たり寄ったりである。
 台湾統治時代、日本ほど良心的な植民地政策を取った国はなかった。日本は植民地と言うよりも自分の領土の延長として考え、インフラ整備に膨大な金と人材を注ぎ込んだ。それも、投入した資金が直ぐには回収できない医療や教育に力を入れた。
 台湾が近代化し、世界各国と肩を並べられるようになったのは、日本人が台湾に上陸してからのことである。
 私も日本教育を受けなければ今日の知識はない。世界の植民地の中で、日本人のように徹底的に教育した例は他にはない。
 今日の台湾の基礎は日本時代に造られ、衛生、治安の悪い状態から、アジアの中では日本に次いで立派な国になった。
 国民党が来てから、ずっと反日教育をやって、日本は非常に悪いことをした、日本人に搾取されたと教えているが、植民地になった後、日本政府は大陸に帰りたい者は帰っていいと二年間の猶予を与えたが大半の者は残った。それから十年経過した後、台湾には仕事があるし収入もいい、天国だということで大陸から大量の人が台湾に来た。
 日本の植民地時代に、日本人がどうやったかということは、中国人だということを棄てて、台湾人になる人が大量に増えたということで、成果が証明されている。
 
 戦前の日本人には使命感に燃え、遵法精神が強い立派な人が多かったということを、「台湾の歴史」の中で以下のように述べている。


 第二次世界大戦直後の台湾の就学率は、80%以上であった。
 先生は皆日本から来ていた。戦後に台湾に招かれていない先生というのはほとんどいない。教え子達が恩師を招待している。それも一回だけじゃない。何回も来ている。このことが如何に当時の先生が一生懸命に台湾の子供達のために教育をしてくれたかということを最も証明している。 
 先生は愛情と使命感をもっておられた。私の友人のクラスにうんと貧しい家の子がいた。弁当の中身がいつも芋ばっかりであった。これじゃそのうちに必ず栄養失調になるからと、先生が見るに見かねて自分の弁当箱を子供に上げた。そのとき先生は、「先生は芋が好きだから、先生の弁当と更換してくれないかと」と言った。それ以降、何回も先生はそう言って自分の弁当を子供に食べさせた。
 戦争で日本が負けて台湾の事情が変わると、先生には給料がでなくなった。学校の倉庫には物資がまだいっぱいあったので、先生たちは給料の代わりに倉庫の物資を売ったりして生活をすることはできたのだが、先生たちは倉庫の物資には一切手を付けず、道ばたでコモを被って座っていた。日本人の潔さである。それを知って私は本当に感動した。


 戦前の日本統治時代に台湾で生まれ、日本の教育を受けた皆様は、私が想像していたよりもはるかに日本人であったことを誇りにし、日本に感謝しておられるということを知ることができた。

 

 

考えさせられた日本の問題点


 私は、日本の社会経済が低迷している理由の一つに、最近の「説明責任」あるいは「アカウンタビリティ」があるのではないかと考えている。
 今回、台湾を代表するオピニオンリーダーの皆様とお会いし、お話を伺ったことで、私のこれまでの考えに間違いがないことを確信することができた。
 「説明責任」あるいは「アカウンタビリティ」という言葉をよく耳にする。それを果たすために、膨大な根拠資料を作成したり、記録に残すためこまめに文書化したりしているが、それが本当に必要なのか疑わしい。単に、自分に自信が無く、責任逃れの言い訳をしているだけのように思える。このような無駄なことに時間を割くのではなく、仕事の効率化や新製品の開発など生産性を高めることにもっと時間とエネルギーを使えば、本当の競争力を付けることができるように思っている。
 李登輝先生は講演で、「政府のスポークスマンの役割を担った枝野幸男経済産業相は、毎日テレビに顔を出して発表をしていたが、それよりも他になすべきことがあったはず」という意味のことを話しておられた。
 林蒼生総裁も講演の中で、「今の日本人は忙しすぎる」と語っておられた。
 お二人の発言は、私が以前から気にかかっていたことと一致するように思えた。
 また、もう一つの大きな問題点は、李登輝先生も講演で指摘されていたが、戦後の学校教育にある。
戦後の日本には、戦前の「日本人の心」がまだ残っており、それが奇跡的な経済成長を達成させたが、いつのまにか欧米の合理主義、利己主義に変わってしまい、「日本人の心」が失せてしまったように思える。
 戦前の「教育勅語」を復活させることや、学校や企業の節目の行事に「日の丸掲揚」と「君が代の合唱」を義務づけることの必要性について改めて考えさせられた。