技士道十五カ条 西堀栄三郎

技士道十五カ条

一 技術に携わる者は、「大自然」の法則に背いては何もできないことを認識する。

二 技術に携わる者は、感謝して自然の恵みを受ける。

三 技術に携わる者は、人倫に背く目的には毅然とした態度で臨み、いかなることがあって

も屈してはならない。

四 技術に携わる者は、「良心」の養育に努める。

五 技術に携わる者は、常に顧客指向であらねばならない。

六 技術に携わる者は、常に注意深く、微かな異変、差異をも見逃さない。

七 技術に携わる者は、創造性、とくに独創性を尊び、科学・技術の全分野に注目する。

八 技術に携わる者は、論理的、唯物論的になりやすい傾向を戒め、精神的向上に励む。

九 技術に携わる者は、「仁」の精神で、他の技術に携わる者を尊重して、相互援助する。

十 技術に携わる者は、強い「仕事愛」をもって、骨身を惜しまず、取り越し苦労をせず、困難を克服することを喜びとする。

十一 技術に携わる者は、責任転嫁を許さない。

十二 技術に携わる者は、企業の発展において技術がいかに大切であるかを認識し、経済への影響を考える。

十三 技術に携わる者は、失敗を恐れず、常に楽観的見地で未来を考える。

十四 技術に携わる者は、技術の結果が未来社会や子々孫々にいかに影響を及ぼすか、公害、安全、資源などから洞察、予見する。

十五 技術に携わる者は、勇気をもち、常に新しい技術の開発に精進する。

 

夢を持ち続ける

大事なことは、夢を持ち続けることである。夢を持ち続けていれば、人生の分かれ目に遭遇したとき、自然と夢に近い方を選び、次の分かれ道がくるとまたそっちの方へと、夢が自然に自分を誘導してくれる。そうしてだんだんと、夢を実現させる下地ができていくのである。チャンスを逃がすか捕まえるかは、それを受ける下地という「受け皿」の準備ができているかどうかによる。せっかく巡って来たチーャンスも、受け皿がないことにはそれを受けることができないのだ。

 

経験を積む

人間の一生には辛いことも楽しいこともある。それに堪え,自分の限界を乗り越えることで,人間は大きくなるものだ。そう考えれば,人のいやがることでも積極的に前向けにやっていける。苦しいことでも平気で堪えられるようになる。ひとつ階段を上がると,「この前はああいうことにも堪えられたんだ」という自信がわき,それが,もっときついことに挑戦する勇気を与えてくれるのである。

そうして,経験を少しずつ積むことによって能力が上がっていく。そして,その能力はさらに大きな自信を生む。いろんなことを体験して得た知識や,あるいはそれを自分でやったという自信,それらはとても大きなものだ。

 

新しいことをやる者には,楽観的な態度もまた必要である。自分の運というか,運命というか,「神様が必ず守って下さる」という信仰新のようなものが,楽観的な態度を作ることになる。

科学と技術

科学とは,「森羅万象における知識を発見すること」である。

技術とは,「科学で得た知識を何らかの目的に結びつけて物を作ること,またはそのシステムを作ること」である。

 

発見された知識が必ず絶対のものであるとは限らない。それは「一応の学説」であって,絶対的に自然の真実を表しているとは言い切れない。

 

技術とは,道具や機械に結集した部分だけではなく,組織をどのようにシステム化するか,経営をどうするか,販売はどうするかといったノウハウ,あるいは現場での熟練,手法,技能というものまで,あらゆるものを含んでいる。人間の知的行動に価値を生ませるもの一切を「技術」といい,それに携わる人々すべてを「技術者」といいたい。

 

文化と文明

文化とは,「学問や芸術や宗教のように精神的欲望を満足させるもの」である。

文明とは,「労働や技術や資本によって生み出される物質的なもの」である。

 

西堀栄三郎の家庭環境

祖父の代から京都で「ちりめん問屋」を営む商家。丹後の娘に機(はた)を貸してちりめんを織って貰い,それを日本中に売りさばいていた。

 

11歳の時に,16歳上の兄に,日本人で初めて南極に行った広瀬矗(のぶ)中尉の探検報告会連れて行ってもらった。その時見た映画と聞いた探検の話に大きな感銘を受けた。

 

兄は,カタログを見ては外国から新製品を輸入していた。家には,計算尺,タイプライター,扇風機など外国の珍しい物で溢れていた。

 

高三のとき,受験に失敗して浪人をしていたとき,T型フォードの「故障発見法」というマニュアルを手に入れ,それを参考にして欧米で兄が買ったオートバイを分解して,磨いて元通りに組み立てて、周囲を驚かせた。

 

第三高等学校に入学した年に,兄の関係で,アインシュタイン夫妻を奈良・京都見物に案内した。博士は「相対性理論」でノーベル賞を受賞した直後であった。博士との出会いは,私の人生に大きなものをもたらした。

 

大学卒業後,講師として残り,ドイツから帰国したばかりの佐々木申二教授の元で化学を学んだ。教授は「何もないところから出発する方が,かえって気持ちがいい。なまじっか実験装置があったりすると,それにとらわれていけない」「実験装置というものは,自分で装置をこしらえ,自分でやるということが極めて大事なことだ」と教えられた。

統計的品質管理

理論は「線」、現実は「点」で表される。[理論」と「現実」を橋渡しするものが,「統計的品質管理」である。

 

日本の品質管理が成長したのは,GHQ(連合国連総司令部)のCCS(民間通信局)所属のドクター・ポルキンホーンのお陰。

その後,日本はデミング博士の指導を受けて,日本製品の品質は著しく発展した。

 

成績というものは決して直線的には伸びない。階段状に伸びるものである。成績をあげるためには,今までと違ったことをしなければならない。「作業標準書の書き替え」「改善」「開発」である。

アメリカの品質管理と日本的品質管理

 

兄は,第一次大戦後に欧米に渡り,GEやフォードなどの企業を見て歩き,アメリカの経営学者テーラーが提唱する科学的労働管理法・テーラーシステムを学び,近代的織物工場を開業した。

父は,機を貸してちりめんを織らす「出機システム」を昔からやっていた。昭和2年に北丹後で大地震が起こり,死者3千人の大被害がでた。