最近の出来事 2012年6月~

小白浜漁港の防潮堤
小白浜漁港の防潮堤

8月31日(金)

本年度第2回目となる高知県橋梁会の研修会を高知会館で行う。

会員による発表が6編あった。そのうちの1編は、私が「三陸海岸構造物の津波被害とその教訓」と題して発表した。

釜石市唐丹町小白浜漁港の防潮堤が倒壊した原因は、津波による洗掘と思われる。倒壊した箇所は、谷地形になっており、地盤が洗掘を受けやすい状態にあったことが考えられる。

新阪急ホテルのビアガーデンで暑気払い
新阪急ホテルのビアガーデンで暑気払い
安岡正泰氏の講演
安岡正泰氏の講演

8月28日(火)

桑名龍吾高知県会議員の県政報告会がホテル日航高知旭ロイヤルであり、会場が一杯になる520名が参加していた。

桑名龍吾議員は、幼少の頃に祖父藤田三郎氏から陽明学を学んでおられ、現在は安岡正泰氏に師事しているということであった。安岡正泰氏は、陽明学の大家・安岡正篤氏のご子息で、現在は記念館理事長をされている。その安岡正泰氏の講演があった。

正泰氏は、父親から「縁を大事にしなさい。良き縁を育てなさい」ということをよく聞かされていたそうで、安岡正篤先生がよく使われていた「縁尋機妙(えんじんきみょう)」と「多逢勝因(たほうしょういん)」という言葉が紹介された。

縁尋機妙とは、よい縁がさらによい縁を尋ねていく仕方が実に機妙であるという意味。多逢勝因とは、よい人に交わっていると、気づかないうちに、よい結果に恵まれるということである。

 

8月25日(土)

昨日、台湾へ一緒に行った河村泉兵衛氏から「明日、高知に行く」という電話をいただいていた。

河村氏は、金子裕則氏と「男戯OTOGI」というコンビを組んでいる。彼らのCDジャケットのデザインを担当している角谷やすひと氏が、「龍馬の生まれたまち記念館」で個展を開くことなり、その会場で歌を唄うことになったので聞きに来て欲しいという電話であった。長崎から車を運転して来られるようであった。

家内と一緒に会場に行くと、台湾へ一緒に行った宮尻さんや、全国龍馬社中の会長をされている橋本邦健氏らも来られていた。

「RYOUMAからの手紙」、坂本龍馬脱藩150周年記念イメージソング「蒼い風」、ガンと闘う炎の戦士・串間 政次の応援歌「クシマ'ズファイト」、盲導犬ソング「ぼくアスペルです」などオリジナル曲を90分間にわたって聴かせていただいた。

河村泉兵衛と金子裕則
河村泉兵衛と金子裕則
金子裕則、家内、私、河村泉兵衛
金子裕則、家内、私、河村泉兵衛

御浪町のバー・サフランで懇親会
御浪町のバー・サフランで懇親会

8月24日(金)

岐阜大学で社会基盤ME養成講座「盛土と擁壁」の講義をする。第9期生となる今回のME生は24名。年齢は28歳から47歳。勤務先は官公庁11名,コンサルタント5名,建設会社8名。

講義は12時50分から16時までの2コマで,①擁壁の設計法(土圧,支持力,安定計算)。②落石衝突荷重,地震時荷重を作用させる場合の課題。③技術者としての心得。について説明させていただいた。

我が国は高齢化による社会保障費の増大で財政赤字がどんどん増えている。土木構造物など公共施設の老朽化も進んでいる。財政破綻状態の中で、来るべき時代を乗り切るには技術の独創的な知恵以外にない。荷重の特性を正しく把握し,力学的に合理的な設計を行うことで,安全性と経済性の両方を満足させることが可能になる。今日の私の講義がそのヒントになれば幸いと思っている。

夜は,御浪町のバー・サフランで,ME養成講座の受講生21名と副学長の八嶋理事、沢田先生、村田先生,浅野先生、熊田さんらと懇親会。

八嶋先生が乾杯の挨拶の中で、学ぶべき師となるのは「森羅万象、先生、MEの仲間」である。その中でも、仲間が大切と述べられた。いつまでもME生同士のつながりを大切にして欲しいものである。

二次会は、名鉄駅近くの白木ビル3Fの「くいもの屋わん」。

8月23日(木)

高知県測量設計業協会の技術講習会「公共工事の品質確保講習会」を高知会館で開催した。参加者は、協会員40名、高知県職員8名の48名であった。

協会会員はH10年頃には41社であったが、現在は21社まで減少している。我が国の公共事業予算と連動しているようである。

公共事業が減少すると言われ出して20年が経つ。平成7年には建設省より「建設産業政策大綱」が発表された。それには、「① 技術と経営に優れた企業が自由に伸びていける競争環境を作る。② 技術と技能に優れた人材が生涯を託せる産業を作る。③ 国民にトータルコストで良いものを安く提供する」という3つの基本方針が示されていた。

そして、平成17年4月には「公共工事の品質確保の促進に関する法律」が施行され、平成21年3月 には、「建設コンサルタント業務等におけるプロポーザル方式及び総合評価落札方式の運用ガイドライン」が策定された。

建設産業政策大綱に示されたことが確実に実現されている。技術に優れた企業でなれれば、この業界に留まることは難しい。

そのようなことから、高知県測協では、橋口氏が会長に就任されたH22年度に「県内の仕事は県内の業者が責任を持って果たす」という基本方針が立てられた。それを受けて、協会員の人材の育成や技術力の向上を図ることを目的に、平成22年度より年3回の技術講習会を開催している。 →詳細はこちら

8月17日(金)

平成24年度徳島大学美土利会高知支部総会(会長 中島俊彦)が土佐卓袱料理の店「葉山」であった。徳島大学から中野晋教授にお越しいただき、母校の近況についてお話いただいた。中野先生は四国におけるBCP(事業継続計画)の第一人者として、自治体や企業のBCP策定の指導などでも大変ご活躍されている。

最近は、予定が重なり欠礼していたので久し振りの出席であった。参加者は16名であった。会員は123名いる。一昔前に比べでは出席率が極端に低くなっている。

先輩の貴重な経験を聞くことができる絶好の機会であり、情報交換の場である。全くの初対面でも先輩後輩というだけで打ち解け合う不思議なムードがある。若い人には万難を排してでも参加してもらいたいものである。

中野晋教授による近況報告の中で、最近の学生は幼稚化しているというお話があった。学生に限ったことではなく、日本人全体に言えることのように思える。

幕末に活躍した坂本龍馬が船中八策を策定したのが33歳、高杉晋作が奇兵隊を結成したのは23歳のときである。

土木技術者では、高知出身の廣井勇が、小樽港の北防波堤を設計し、建設監督に当たったのは35歳のときである。東京帝国大学で廣井勇の薫陶を受けた八田與一が、台湾で当時東洋一の規模を誇るセミ・ハイドロリックフィル工法の烏山頭ダムを設計し、建設の指導に当たったのは34歳のときである。

昔の人は、なぜ若くして偉大な業績を上げることができたのだろうか。現代と何が違うのだろうか。

8月13日(月)

前会長の玉井佐一先生が他界したのは2007年8月30日。早いもので5年目を迎える。

吉田幸男副会長、西川準二会計と私の3人で玉井先生が眠る真如寺に行き、お墓に線香を捧げ、6月27日に高知県橋梁会創立35周年記念式典を盛会理に終えることができたことを報告する。

徳子夫人に、高知県橋梁会35周年記念誌、果物、そして先生が大好きだったウイスキーをお渡しし、仏壇にお供えしていただくようにお願いする。

徳子夫人から生前の先生のことをいろいろと聞かせていただいた。先生と言えば酒場のイメージがある。しかし高知に来られ前の大阪時代には、外で酒を飲むことはなかったとのこと。意外であった。

高知大学を定年退職後、東京の大学への再就職の話を断られたのは、高知を離れると仲間と一緒に談笑したり歌ったりして楽しい時間を過ごせなくなると考えられたのではないかと思う。先生は、高知の文化と人が大好きだったのである。

故・玉井佐一先生を偲ぶ

前方に立っている男性が地方車を製作した大工の西岡辰男さん。
前方に立っている男性が地方車を製作した大工の西岡辰男さん。

8月11日(土)

  10日、第59回よさこい祭りの本祭が幕を開け、197チーム1万8千人の踊り子が、鳴子を両手に声をからし、身を焦がし熱気を爆発させた。

 第一コンサルタンツは平成20年より「本山さくら」チームの地方車製作に協賛させていただいている。今年も「地区競演場連合会地方車賞」に輝いた。平成20年から5年連続の快挙。過去に3年連続受賞したチームはあるが、4年連続はなかった。

 本山さくらの地方車は、西岡辰男さんら藤川工務店の大工が、プロとしての誇りと意地を賭けて製作したもの。独特のピンクの色彩を放つ嶺北杉を使用した太鼓橋を搭載している。太鼓橋は、はりまや橋公園内にある朱色の播磨橋を製作した大工と同じ大工によって正確に1/2サイズで作られている。他の地方車とはひと味もふた味も違う。

7月30日(月)

昨年に引き続き2回目となる高知県測量設計業協会主催の技術講習会「技術士一次試験の受験対策」を高知市布師田の「高知じばさんセンター」で開催する。昨年は、受験経験のある若手協会員に講師をしてもらったが、合格者が2名と少なかった。今年は、技術士受験指導の実積がある山下祐一氏にお願いした。また、昨年受験した会員の中から、兵頭学、中越裕輔、黒川修吾の3名に受験体験発表をしていただいた。受講者は16名であった。

講習会終了後、帯屋町1丁目の「花ころも」に行き、講師をしていただいた山下祐一氏、兵頭学氏、それに技術副委員長の濱田社長と食事をする。→詳細はこちら

7月24日(火)

新幹線で台南に行き、10時40分に統一企業公司を訪問する。この会社は、台湾や中国などでセブンイレブン、キッコーマン醤油などの小売業を展開する売り上げ3兆円の台湾最大の企業。船井総研の船井幸雄会長が1967年の創業時から経営コンサルタントをされている関係で訪問。

最初に、(株)船井本社の社長をされている船井勝仁氏が挨拶。父・船井幸雄が尊敬する経営者は「松下幸之助、サムスンの創業者イ・ビョンチョル、統一企業公司の創業者高清愿(こうせいげん)」で、この3人から経営を学んだと紹介。現在の規模に会社を発展させたのは二代目の林蒼生(りんそうせい)総裁の経営手腕によるということであった。

林蒼生総裁から、12時40分まで約2時間にわたって、ご自身の経験に基づいた経営のノウハウをレクチャーしていただいた。「一番難しいのは人の問題、統一企業は社員を大切にするので他社に移動せずに定年まで働いてくれる」「経営トップには直感が一番大事」「競争に勝つには価格ではなく企業文化が大事」「過去の経験から将来を予測しては駄目、将来のビジョンを描きそれを達成するために工夫することが大切」「経営者には義理人情がなくてはならない」「企業のサイズは経営者の心のサイズで決まる」「アルファー波が出る状態にすれば知恵が出る」といった経営のポイントを語っていただいた。

12時50分からは統一企業公司の中にある迎賓室で豪勢な昼食をごちそうになった。 →詳細

台南市の統一企業公司本社
台南市の統一企業公司本社
経営について講演をされる統一企業公司の林蒼生総裁
経営について講演をされる統一企業公司の林蒼生総裁

森健志郎理事長の挨拶
森健志郎理事長の挨拶
林蒼生総裁の挨拶
林蒼生総裁の挨拶

金子裕則と河村泉兵衛がお礼に「RYOMAからの手紙」を歌う
金子裕則と河村泉兵衛がお礼に「RYOMAからの手紙」を歌う
お礼に「いちむじん」がクラシックギター演奏
お礼に「いちむじん」がクラシックギター演奏

最後の訪問先は、奇美実業グループの創業者で会長をされている許文龍氏。龍馬財団の一員である静岡理工科大学の志村史夫教授が、許会長と懇意にされているという関係で、訪問が実現したということであった。

奇美実業は1959年に創業した会社で、ABS樹脂では世界最大のメーカー。1996年より李登輝総裁の国策顧問になり台湾民主化に貢献されている。

15時に奇美博物館にお邪魔する予定であったが、スコールのため15時20分に到着する。

奇美博物館は、許会長が趣味で集めた絵画、彫刻、日本の刀剣類、動物の剥製、昆虫の標本、楽器、美術などが展示し,無料で一般に開放している。展示されているのは、所蔵品の1/3にも満たないそうで、現在の5倍の規模の博物館を建設中で、完成すれば台南市に展示品共々寄贈される予定ということであった。

17時まで約1時間30分、博物館の顧問をされている石栄堯(せきえいぎょう)氏が展示品の説明をしてくださった。西洋美術、音楽、歴史ととても造詣が深い方であった。

その後、情定大飯店というホテルへ移動し、会長の許文龍氏がわたし達を豪華な料理でもてなして下さった。

最後に、許文流会長がバイオリンで「故郷」「荒城の月」「仰げば尊し」「蛍の光」など懐かしい曲を弾き、全員で合唱した。

また、全員に許文龍氏の執筆による「台湾の歴史」という本をいただいた。→詳細

奇美博物館の石栄堯顧問
奇美博物館の石栄堯顧問
志村教授、許文龍会長、森理事長
志村教授、許文龍会長、森理事長

許文龍会長によるバイオリン演奏
許文龍会長によるバイオリン演奏
濱田氏、森社長、私
濱田氏、森社長、私

7月23日(月)
故宮博物館を見学する龍馬財団の一行とは別に、(株)四国運輸の小川雅弘社長、(株)船井本社の船井勝仁社長、(株)ソームの川上美晴さん、(株)にんげんクラブの児玉裕子さんたちに加えていただいて九分に行く。
九分は日本統治時代に藤田組による金の採掘で賑わった町で、当時の面影を色濃く留めている。
1971年に金鉱が閉山されてから町は寂れていたが、1989年に2.28事件を取り上げた「非情城市」という映画が大ヒットした事で人気が高まり、2001年公開の映画「千と千尋の神隠し」のモデルになったことから、台湾の観光スポットとして定着している。 →詳細

阿妹茶楼
阿妹茶楼
阿妹茶楼の2階のバルコニーからの眺め
阿妹茶楼の2階のバルコニーからの眺め

昼食の後、台北のホテルに帰ってスーツに着替え、淡水にある李登輝・元台湾総統のオフィスを表敬訪問する。目的は、李登輝先生の全快のお祝いと龍馬財団の名誉会員になっていただくこと。

30階建てのビルの29階と30階が李登輝先生のオフィスになっており、29階の会議室が用意されていた。超多忙にも関わらず、龍馬財団のために15時~17時まで2時間もの時間をとっていただいた。

まず、竹内土佐郎先生が「龍馬甚句」を披露。続いて、クラシックギタージュオの「いちむじん」がNHK大河ドラマ「龍馬伝」のBGMや「南国土佐を後にして」を演奏、金子裕則&河村泉兵衛が「RYOUMA」の手紙を歌い、帽子デザイナーの山本正子さんが李登輝夫妻のために製作したオリジナルの帽子、竹内土佐郎先生をはじめ財団の皆さんがプレゼントを手渡しした。最後に森健志郎理事長が、龍馬財団名誉会員の会員証とバッチを寄贈。ちなみに会員番号は90番。

その後、1時間にわたって李登輝先生が私たちのためにレクチャーしてくれた。李登輝先生は、大の龍馬ファンである。2009年9月6日に奥様と桂浜の坂本龍馬紀念館を訪れられている。

高知で坂本龍馬先生の銅像に会えて大変感動したこと、総統に就任後、台湾を民主主義国家に改革させるのに坂本龍馬の船中八策を参考にしたこと、日本人は「誠実と自然」大切にする素晴らしい民族であること、日本は「貴方は貴方、私は私」という考えで外交しなければならない、政治家は国益を第一に考えなければならない、世界の政治経済が混沌としている今こそ「坂本龍馬の精神」が必要であること、を熱く語られた。

満89歳とはとても思えない強いオーラが伝わってき、あまりの感動で涙が出てきた。「東洋の哲人」「台湾民主化の父」と称賛されるだけある。日本にこのようなリーダーがいたら国民は幸せになるのにと感じた。

肖像権の関係で、李登輝先生の顔が移っている写真を紹介できないのが残念である。 →詳細

李登輝元総統のオフィスがある淡水のビルの玄関で、森直樹社長、船井勝仁社長と記念撮影
李登輝元総統のオフィスがある淡水のビルの玄関で、森直樹社長、船井勝仁社長と記念撮影
李登輝元総統との会談を行う部屋。李登輝先生が座る机の周りをコの字型に囲んで座る。
李登輝元総統との会談を行う部屋。李登輝先生が座る机の周りをコの字型に囲んで座る。

龍馬甚句を披露する竹内先生
龍馬甚句を披露する竹内先生
「RYOMAの手紙」を披露する金子裕則&川村泉兵衛
「RYOMAの手紙」を披露する金子裕則&川村泉兵衛

18時30分より台湾龍馬会(会長・連紅豊)主催のレセプションが、台北の台湾料理のレストラン「欣葉」で開催された。台湾龍馬会の名誉会長をされている李登輝元総統も出席して下さり、大変貴重な30年物の紹興酒と17年物のザ・マッカランのウイスキーを私たちのためにごちそうして下さった。

李登輝先生は病後であるにも関わらず、20時40分まで懇親会の席で私たちと一緒に歓談していただいた。 →詳細

挨拶をされる森健志郎理事長
挨拶をされる森健志郎理事長
李登輝元総督から差し入れがあった30年物の紹興酒
李登輝元総督から差し入れがあった30年物の紹興酒

李登輝元総督から各テーブルに差し入れがあった 
李登輝元総督から各テーブルに差し入れがあった 
西本忠雄先生の指揮でカラオケを熱唱する台湾龍馬会の会長たち
西本忠雄先生の指揮でカラオケを熱唱する台湾龍馬会の会長たち

7月22日(日)

坂本龍馬財団(理事長 森健志郎)の一員として台湾に行く。参加者は、坂本家九代目当主坂本登氏ら35名。

龍馬財団は、米国ニューヨークに坂本龍馬の志を発進する「RYOMAミュージアム」を、5年後の2017年までに設置することを目的として今年の3月20日に発足した。

今回の台湾旅行の目的は、元・台湾総統で台湾龍馬会の名誉会長でもある李登輝先生、統一企業公司の林蒼生総裁、奇美実業グループ創業者の許文龍会長に会い、龍馬財団への協力をお願いすること。ちなみに、私は96番目の会員。

台湾には921集集大地震(1999.9.21)の調査で平成11年に、また今年の2月には観光で来ていたが、森健志郎氏の実弟にあたる技術士仲間の森直樹氏に誘われて来ることになった。森健志郎氏には、技術士会で3度講演をしていただいている。今年の8月10日にも、「太平洋・瀬戸内海・日本海縦断技術士会in高知」で講演をお願いしている。

高知龍馬空港を7時35分発のANAで出発。羽田国際空港を経由して台北の松山空港へ到着したのは、現地時間の12時30分(日本は13時30分、時差は1時間)。

空港到着後、蒋介石を偲ぶ中正紀念堂、1738年創建の龍山寺、衛兵の交代式が見所の忠烈司を見学する。夕食は、市内のレストラン聚馥園(しゅふくえん)で北京料理を満喫する。その後、元土佐電トラベル社長の浜田宏氏に案内していただき、静岡理科大学の志村史夫教授、元中芸高校校長の竹内土佐郎先生御夫妻、高知新聞社の安岡仁志氏、地研社長の建森直樹氏と一緒に東門夜市に行く。 →詳細

台北最古の龍山寺
台北最古の龍山寺
龍馬財団の森健志郎理事長、坂本龍馬の御子孫で坂本家九代目当主の坂本登氏(北京料理のレストラン聚馥園)
龍馬財団の森健志郎理事長、坂本龍馬の御子孫で坂本家九代目当主の坂本登氏(北京料理のレストラン聚馥園)

7月18日(水)

仙台からの帰り、娘たちが住んでいる東京墨田区のマンションに立ち寄る。鎌倉に遊びに行ってまだ1ヶ月しか経っていないが、孫の祐希に会いたくて東北のお土産を持って行く。

子供の成長が早いのには驚かされる。足腰が一段としっかりしてきた。歩いても1ヶ月前のようにバランスを崩して倒れることがほとんどなくなった。「どうぞ」という言葉をはっきりしゃべれるようになっていた。

次は、9月に一緒に旅をする予定であるが、さらに成長していることだろう。楽しみである。

 

7月17日(火)

ホテルを7時に出発し、小白浜海岸、陸前高田市、気仙沼、南三陸町(歌津、清水浜、志津川)、石巻を視察する。

昨日は野田村、田老町、大槌町吉里吉里で、今日は小白浜漁港で巨大な防潮堤が転倒しているのを見た。転倒している箇所では、防潮堤の前後が大きく洗掘されていた。原因は地盤の液状化でないかと感じた。

道路や鉄道の盛土は津波に対して弱い。橋梁は残っているのにその前後の盛土部のみが流失している箇所をあちこちで見た。特に鉄道は盛土幅が狭いので、津波が越流すると容易に崩壊するように思われた。

南三陸町の志津川と石巻は昨年の6月に視察していたので、今回が2度目。志津川は解体作業が進められており、町の様子が1年前とは大きく変わっていた。志津川病院も解体作業中であった。

石巻は時間の関係で漁港しか見られなかったが、漁港は様変わりしていた。たくさんの漁船が接岸され、復旧が進んでいる様子であった。

石巻港を出発したのは15時35分。レンタカーを返却して仙台空港へ到着したのは17時。飛行機の出発時刻の35分前であった。

須賀氏らは伊丹空港経由で松山に帰ったが、私は仙台に泊まり、海岸構造物の設計をするために仙台に来ている植田勇二氏とJR仙台駅の近くの郷土料理の店「牡鹿半島」で食事をする。 仕事に追われ、アパートに帰るのは毎日午前様で時には徹夜になることもあると聞いていたので心配していたが、思っていたより元気そうなので安心した。 →詳細

気仙沼の市内に漂着した第十八共徳丸
気仙沼の市内に漂着した第十八共徳丸
気仙沼の復興マルシェにある食事処「塩田」でハーモニカ煮定食を食べる
気仙沼の復興マルシェにある食事処「塩田」でハーモニカ煮定食を食べる

南三陸町志津川の防災対策庁舎
南三陸町志津川の防災対策庁舎
植田勇二氏とJR仙台駅近くの郷土料理の店「牡鹿半島」で食事
植田勇二氏とJR仙台駅近くの郷土料理の店「牡鹿半島」で食事

7月16日(月)海の日

八戸でレンタカーを借りて、キンキ地質センターの益田信さん、その息子さんの雅士さん、芙蓉コンサルタントの須賀幸一さんと一緒に三陸海岸に沿った国道45号線を南下して、東日本大震災による津波被害を受けた種市漁港、八木漁港、久慈漁港、洋野町小子内(おこない)海岸、野田村、田老町、山田町、大槌町を視察釜石に入る。

午前中は雨で気温が24度と肌寒かったが、午後からは天気が回復して真夏を思わせるような暑さであった。

宿泊するホテルサンルート釜石に着いたのは、予定を大幅に超えて19時を過ぎていた。 →詳細

 

津波によって破壊された吉里吉里漁港の防潮堤
津波によって破壊された吉里吉里漁港の防潮堤
炭火焼料理と地酒の店「ろばたや」で益田信氏、須賀幸一氏、右城、益田雅士氏
炭火焼料理と地酒の店「ろばたや」で益田信氏、須賀幸一氏、右城、益田雅士氏

7月15日(日)

高知龍馬空港を7時35分発のANAで羽田空港へ、東京から新幹線で青森県の八戸に行き、昨日から開催されている第47回地盤工学研究発表会に参加する。 特別講演会と交流会の会場になっている八戸グランドホテルに着いたのは14時30分であった。

17時からの技術交流会では、今年まで地盤工学会の理事をしていた須賀幸一氏が、専務理事の岸田隆夫氏を紹介してくれ、岸田氏が会長の末岡徹氏を紹介してくれた。岸田氏とは6月に開催した「落石対策技術講習会」のことでメールでやりとりをしたことはあったが、お二人にお会いするのは初めてであった。

須賀氏によると、近年、地盤工学会の財政状態が悪くなっていることから経営に民間的手法を取り入れていく必要があるとい前会長の判断があり、会長にはこれのまで大学の先生が就任していたが、会長、専務理事も民間企業から選ばれたということであった。また、本部が主催する講習会を四国支部で企画したのは落石対策技術講習会が最初の試みであったようである。それが定員70名で参加者を募集したのに対して238名の参加があり、お二人がとても喜んでおられたという話であった。

懇親会の後、村田芳信氏から来てくださいと言われていた、岐阜大学の沢田・森口研究室のメンバーが飲んでいる居酒屋「来るくる」に行く。この研究室の皆様は結束力がとても強く、愉快である。

この後、熊田素子さんの引率で岐阜大学副学長の八嶋先生達が飲んでおられるスナック「ドリーム」に行く。末岡会長、京都大学の木村亮教授、東北大学の京谷孝史教授ら蒼々たるメンバへーがおられ、名刺交換をさせていただいた。

地盤工学研究会への参加は1日だけであったが、素晴らしい多くの方との出会いがあり、とても充実した日となったた。

技術交流会の会場のステージで、本マグロの解体が披露された。
技術交流会の会場のステージで、本マグロの解体が披露された。
左より須賀氏、岸田専務理事、右城、末岡会長、稲垣氏、利藤氏
左より須賀氏、岸田専務理事、右城、末岡会長、稲垣氏、利藤氏

岐阜大学の沢田・森口研究室の皆さんと
岐阜大学の沢田・森口研究室の皆さんと
居酒屋「土佐の一風」で
居酒屋「土佐の一風」で

7月12日(木)

五大開発の高森秀次さんが、落石のシミュレーション解析について相談があると言って、金沢から乗用車を運転し、遠路高知までやってきた。

高森さんは、地盤工学会四国支部の落石対策研究会の委員で、平成21年に出版した「落石対策Q&A」の執筆者の一人でもある。

はりまや商店街にある居酒屋「土佐の一風」で土佐卓袱料理を食べながら、我が社の西川徹次長、奥村昌史主任を交えて、落石の運動や落石防護工の設計、シミュレーション解析について議論をする。

私は、落石対策に関する研究を初めて30年以上経つ。酒を飲みながら落石の話をするのは最高に楽しい。気がついたら閉店の23時になっていた。

7月7日(土)

13時より高知商工会館で、5回目となる第一コンサルタンツの経営方針発表会を行った。

最初の頃は4月の入社式と兼ねて行っていたが、3年前からは7月の第1土曜日に、経営方針発表会と称して、人事発令、辞令交付、経営方針の説明、各課および各委員会の活動報告と新年度計画、特別講演、そして懇親会を行っている。

1年間を振り返り、経営環境がどのように変化しているか、経営目標を達成できたか、できなかった原因は何かを検証・反省し、その上で今年度の経営方針と目標を決め、それを社員全員に周知徹底させるようにしている。

第一コンサルタンツが創立されたのは、昭和38年11月29日である。来年、創立50周年を迎える。
総務省の事業所・企業統計調査によると、創業から10年で半分の会社が倒産し、50年続く会社は6.8%、90年続く会社は1.1%となっている。会社を存続させることが如何に難しいかが分かる。
100年続けば老舗企業と呼ばれる。私の社長としての役割は、老舗企業となる経営基盤をつくり、次の人にバトンタッチすることであると考えている。

「第一コンサルタンツには仕事がある、笑顔がある、未来がある」そのような会社にすることが、私の夢である。

開会の挨拶
開会の挨拶
懇親会で盛り上がる社員たち
懇親会で盛り上がる社員たち

6月30日(土)

13時30分より高知文化プラザかるぽーとの11階大講義室で、第32回高知県地盤工学研究会主催の講習会があり、東北大学の風間基樹教授が「2011年東北太平洋沖地震による地盤災害と復興への地盤工学的課題」、徳島大学の渦岡良介教授が「液状化解析の現状と今後」と題して講演された。

著名なお二人の講演とあって、110名の聴講者があった。その中には、愛媛と高知からの参加者もあった。

17時からは、土佐しっぽく料理の店「葉山」に席を移し、懇親会が行われた。懇親会も例年になく盛会で30名が参加した。その後、19名が「料亭濱長」に繰り出し、閉店の23時まで「しばてん踊り」「べく杯」「菊の花」など土佐伝統のお座敷あそびで盛り上がった。

さらにその後、渦岡先生と高知大学の原忠先生とグリーンロードの屋台で1時過ぎまで反省会?をする。お二人とも若いだけあって元気であるしお酒もめっぽう強い。

6月27日(水)

高知会館で高知県橋梁会の創立35周年記念式典を開催した。

高知工科大学の甲斐芳郎教授には、ご多忙にも関わらず特別講演を快くお引き受けいただいた。

橋梁会は、元高知工業高校教諭であった石川貴泉先生が、「県内でも橋梁の設計ができるように皆で勉強しようではないか」と呼びかけ、昭和52年に発足した。昭和57年からは安芸工業高校の校長であった村山保先生、平成9年からは高知大学農学部教授であった玉井佐一先生、そして平成19年からは不肖私が会長を引き継いでいる。

35年間を振り返って見ると、記録に残されているだけでも実に377名の方に研修会の講師をしていただいている。大学教授や日本を代表する技術者の講演から若手技術者の研究発表までバラエティーに富んでいる。

橋梁会は、単に技術を学ぶ場ではない。時には酒を飲みながら会員が業種や年齢の垣根を越えて気楽に意見を交わし、絆を深め、そして人間力を高めていく会である。歴代会長が教育者であったことが影響しているように思う。

村山会長の時代に創立10周年と20周年記念式典が行われたが、30周年に当たる平成19年には会長されていた玉井先生が他界したこともあり、記念式典を執り行うことはなかった。

橋梁会の発展に多大な貢献をされ村山保先生(満92歳)に、私の手から感謝状をお贈りさせていただきたいという強い思いがあり、35周年式典を開催させて頂いた。

不景気の最中であるだけに、どれだけの方にお集まり頂けるか心配であった。が、昭和54年から入会していただいている東京ファブリック工業(株)の小西社長がわざわざ東京から駆けつけてくれるなど、60名の会員、理事OBにご参集いただき、盛大にお祝いすることができ、感動した。

昨年10月に吉田幸男副会長を委員長とする実行委員会を立ち上げて準備を進めてきた。理事の皆様の献身的な努力のお陰で素晴らしい思い出に残る式典となった。→写真

元会長の村山保先生らに感謝状を贈呈
元会長の村山保先生らに感謝状を贈呈
料亭濱長で二次会。土佐流のお座敷遊びを楽しむ。
料亭濱長で二次会。土佐流のお座敷遊びを楽しむ。

6月24日(日)

11時より、高知商工会館で、第27回ふるさと本山会の総会があった。

この会が発足したのは昭和61年6月。私が徳島から高知に帰り、第一コンサルタンツに入った年。総会へ最初に出席したのがいつだったか忘れたが、25年以上経っている。記憶にあるのは、衆議院議員であった山原健二郎氏と名刺交換をしたところ、直筆のハガキが送ってこられとても感激したことだけである。

今回の出席は2度目である。本山町には日頃大変お世話になっているにも関わらず欠席していた。叔母が副会長をしていることを知り家内と一緒に出席させていただいた。総会出席は会員が43所帯 50人、本山町関係者が今西町長ら24名であった。本山町出身者の死亡、高齢化のため会員が毎年減少しているようである。 総会出席者も減っているとのこと。

今西町長の来賓祝辞で、今年は本山町出身作家・大原富枝の生誕100周年であること、本山町が「日本で最も美しい村」連合に加盟できたことを知った。

「日本で最も美しい村」連合とは、「フランスで最も美しい村」連合をモデルにしたもの。北海道美瑛町の呼びかけにより2005年に発足した。高知県では馬路村に次いで2番目、四国では上勝町、上島町に次いで4番目に本山町が加盟した。地域資源が2つ以上あること、連合が評価する地域資源を活かす活動があることが加盟できる条件。厳しい条件をクリアーして加盟できたことは本山町の誇りになる。

総会の後、12時30分より14時30分まで懇親会があった。最後に、森山良子が歌っている「今日の日はさようなら」を全員で合唱し、いつまでも絶えることなく友達でいようと誓い合った。


6月19日(火)

地盤工学会主催による「落石対策技術講習会」が中央大学駿河台記念館であった。当初、会場に地盤工学会本部の大会議室を予定していたが、定員の70名を大幅に超える238名の申し込みがあり、急遽会場が変更されて開催された。

落石対策に関する実務者がこのように一堂に会する機会は滅多にないので、講習会の後の懇親会を呼びかけたところ、大型の台風4号が接近していたにも関わらず、講師を含め60名の参加者があった。

我が国で落石対策が本格的に行われ出したのは約50年前からである。歴史が浅いこともあり、解明していかなければならない技術的課題は多い。今回の講習会と懇親会が、落石対策技術の進歩に貢献できれは有りがたいことである。

講習会の反響が予想以上に大きかった原因は、道路土工指針の改定にあったようである。落石対策工の設計は、落石対策便覧(平成12年度改訂版)に基づいて行われている。この上位基準として位置づけられている道路土工-切土工・斜面安定工指針が平成21年に改定され、それに伴いポケット式落石防護網の可能吸収エネルギー算定式の見直し、落石の運動エネルギーを推定する際に使用してきた等価摩擦係数の数値標記の削除などがあり、「落石対策便覧については、改訂版が出るまで現行のものを適用できるのか?」「等価摩擦係数はどのように求めれば良いのか?、従来の値は利用できないのか?」といった疑問を多くの実務者が抱えており、地盤工学会としての見解を知りたいと思って参加されたようである。

講習会では、「落石対策の現状と課題」「落石調査と危険度判定」「落石の速度と運動エネルギー」「落石防護ネットの設計と施工」「落石防護柵工の設計と施工」「落石防護擁壁載せと施工】の6つのテーマについて、6人の講師が最新の研究成果を発表した。発表内容については各講師の判断に委ねられており、地盤工学会の委員会で議論されたものではない。しかし、講習会に参加された方の中には、学会としての統一見解を聞けるものと期待されていた方も少なからずいたようである。

学会が主催する講習会には、委員会で作成した技術基準などを発表する講習会と、会員の研究成果を発表する講習会がある。参加者の誤解を招くことがないように両者の区別を事前に説明しておく必要があるように感じた。

約250名が中央大学駿河台記念館の会場を埋め尽くした。
約250名が中央大学駿河台記念館の会場を埋め尽くした。
午後の部のトップバッターとして「落石の速度と運動エネルギー」と題して30年間の研究成果を発表させていただいた。
午後の部のトップバッターとして「落石の速度と運動エネルギー」と題して30年間の研究成果を発表させていただいた。

懇親会で意見を求められ、それに応える私
懇親会で意見を求められ、それに応える私
講師を含め60名が懇親会に参加
講師を含め60名が懇親会に参加
懇親会で談笑される吉田博先生
懇親会で談笑される吉田博先生

台風4号が接近しているにも関わらず、JR神田駅近くの朝日夜で二次会。
台風4号が接近しているにも関わらず、JR神田駅近くの朝日夜で二次会。
三次会は新橋の「ぢどり屋柳通り」。ホテルは近くであるが台風の風が強くて外に出られない。
三次会は新橋の「ぢどり屋柳通り」。ホテルは近くであるが台風の風が強くて外に出られない。

6月18日(月)

台風4号が接近しているというのに、東京は晴天。昨夜から泊まっている墨田区の娘たちのマンションの目の前に完成した東京スカイツリーが見える。5月22日に開業した東京スカイツリータウンのソラマチ商店街にある「ムーミン・ハウス・カフェ」でモーニングの「ムーミンワッフルサンドセット」を食べる。普段は行列ができていて入るのが難しいようである。ウィークデーで早朝8時であったため客は私達家族を含め数名だけであった。

午後からは新交通システムゆりかもめに乗って、この4月にオープンしたばかりの「ダイバーシティ東京 プラザ」に行き、7階の「ガンダムフロント東京」に入る。映像体験ゾーンには巨大ドームを特設、大型プロジェクターで実物大ガンダム立像をモチーフにした映像やガンダム作品の名場面などが映像などを上映されていた。

マンションから眺めたライトアップされたスカイツリー
マンションから眺めたライトアップされたスカイツリー
4月にオープンしたばかりのダイバーシティ東京 プラザ
4月にオープンしたばかりのダイバーシティ東京 プラザ

7階ガンダムフロント東京の模型展示室
7階ガンダムフロント東京の模型展示室
7階のガンダムフロント東京
7階のガンダムフロント東京

6月17日(日)

高知龍馬空港7時35分発のANAで東京へ。JR鎌倉駅で和恵夫婦と待ち合わせて、江ノ島電鉄でアジサイを鑑賞するため長谷寺に行く。長谷寺の観音堂には、11面観音像が安置されている。アジサイが見頃の日曜日とあって観光客で溢れていた。一人300円の入場料を払うと、224の整理番号が書かれた紙製の団扇を渡された。境内で1時間待ったが、花散歩道「アジサイの径」に入るにはまだ待ち時間は70分以上。既に12時を過ぎていたので、ここでのアジサイの散策は諦め、海鮮料理をゆっくりと食べるため江の島に行くことにした。

詳細はこちら

鎌倉駅から江ノ島電鉄に乗って長谷寺へ行く。電車は都会のラッシュ時のように超満員。江ノ電の沿線には、電車を撮るためカメラを構えたマニアが多い。
鎌倉駅から江ノ島電鉄に乗って長谷寺へ行く。電車は都会のラッシュ時のように超満員。江ノ電の沿線には、電車を撮るためカメラを構えたマニアが多い。
長谷寺境内の斜面に作られたアジサイの径の降り口。祐希を連れてこの道を歩くのはまだ無理。
長谷寺境内の斜面に作られたアジサイの径の降り口。祐希を連れてこの道を歩くのはまだ無理。
祐希は仏足石に溜まった雨水を手でバチャバチャするのが大好き。服はビショビショになるが楽しくて仕方がない様子。
祐希は仏足石に溜まった雨水を手でバチャバチャするのが大好き。服はビショビショになるが楽しくて仕方がない様子。

江ノ島駅から江の島まで結構距離がある。祐希を連れて歩くのは大変。
江ノ島駅から江の島まで結構距離がある。祐希を連れて歩くのは大変。
江の島弁天橋の袂で休憩
江の島弁天橋の袂で休憩
江の島の頂上にある「枝の濱展望灯台」の展望台で。
江の島の頂上にある「枝の濱展望灯台」の展望台で。

6月16日(土)

高知会館で13時より高知県技術士会の定例総会、13時30分より日本技術士会四国本部の定例総会、15時20分からは日本技術士会と高知県技術士会合同で、四国本部設立2周年記念講演会と懇親会が開催された。

記念講演会では、講演に先立ち高知県の尾﨑正直知事(代理 野村満男土木部副部長)、高知河川国道事務所 仲典理所長、高知工科大学 久間健人学長からの祝辞があった。

記念講演は、高知高専の寺田幸博教授による「GPS津波計・波浪計・潮位計の開発」、牧野植物園園芸部園地課の黒岩宣仁課長(技術士)による「牧野植物園植栽工事10年を振り返って~植物の生育基盤について~」という2の講演があった。寺田先生はGPS津波計の発案者で、沢山の特許や研究発表されている。

講演を聞かせていただいていて、お二人の印象を表現するとすれば「好きこそ物の上手なれ」「一念、岩をも通す」といいう諺がピッタリであると感じた。お二人のような技術者こそ技術士の鑑である。技術士会の講演として相応しい素晴らしい内容であった。

若い技術士の方には、結果だけを安易に求めるマニュアルエンジニアになることなく、自分がした仕事を誇れるようなエンジニアを目指してもらいたいものである。

寺田幸博教授の講演
寺田幸博教授の講演
黒岩宣仁課長の講演
黒岩宣仁課長の講演

懇親会の後の二次会は、森直樹幹事の行きつけの料亭濱長に行く。昭和21年に開業した料亭濱長は、平成13年に閉店したものの、平成19年に復活した。芸奴を置き、芸者の踊りや土佐のお座敷遊びを楽しむことができる。現在このように遊びができるのは、高知では濱長だけである。

「箸拳(はしけん)」遊び、「可杯(べくはい)」遊びを楽しんだ。この他にも「菊の花」遊びがある。いずれも負ければ酒を飲まなければならない土佐の遊びである。→詳細はこちら

芸奴の踊り
芸奴の踊り
箸拳に負ければ杯の日本酒を飲む
箸拳に負ければ杯の日本酒を飲む
寺田教授もすっかり箸拳遊びにはまる
寺田教授もすっかり箸拳遊びにはまる

6月8日(金)

四国建設コンサルタントに勤務していた吉崎和人君と西村彰君がこの春に定年退職を迎えた。二人の長年の労をねぎらうため,株式会社エー・アンド・ビーの阿部義弘社長が徳島市富田町にある日本料理の店「志美津」に一席を設けたという知らせがあったので家内と一緒に参加させていただいた。井内一成君も参加していた。

私は,昭和45年から昭和61年までの15年間,四国建設コンサルタントに勤務しており,その間お世話になった仲間達である。全員,既に還暦を迎えているが,それなりに元気である。

久しぶりに会った懐かしさで話が弾み,二次会のスナックからホテルに帰り着いたのは0時であった。