「エジソンの思考術」斎藤茂太(精神科医)

       『致知』2002年2月号 特集「尽己」より

            

(坂村真民氏との対談記事より)

 これは私自身が八十三年の人生を生きてきて得た結論ですが、人間は、一つは気力、二つは人とうまくやること、三つは百%達成しなくても悲観しない。もちろん、望むんですが、百%達成できる人はほとんどいないんですから、七十%ぐらいで満足する。この三つが大事だと思います。

 坂村真民先生のおっしゃる一本の道というのは、ぼくの言葉でいえば、根気ですよ。いまの若い連中、根気のないのが、本当に多い。もう一日で会社をやめるのがいっぱい、います。しかし、人生で何かを成す上で、根気というのは不可欠です。

 私の好きな話に、エジソンが電気のフィラメントになる素材を発見するに至ったエピソードがあります。彼は、電気のプラスとマイナスに何をつなげば光を発するかを求めて、その辺にあるものを片っ端から実験していった。人間の髪の毛、こより、自分が食べ残したチーズ、あらゆるものを実験し、その数は三千種類にも及んだが、いい結果が得られなかった。友人がみかねて

「もう三千回も実験したから気がすんだろう。そろそろ諦めたらどうだ」

といった時に、エジソンは、

「バカなことをいうな。世の中に物質は五千五百種類あると聞いている。私はそのうちの三千の物質をすでに実験した。 残りは二千五百。成功はもう目の前まできている」

といった。このエジソンの根気のおかげで、我々は電気という恩恵に浴している。精神の病気の最悪の状態は、根気をなくすことですね。

 

 

「心の中に佐渡島をつくれ」 伊藤謙介(京セラ相談役)

              『致知』2011年11月号 特集「人生は心一つの置きどころ」より

 

  若い人ばかりでなく、自身の戒めとしても拳拳服膺してきた言葉に、「我一心なり」というものがあります。心を一つに定め、よそ見をするなということです。ある女子プロゴルファーが話していて感銘を受け、心に刻んだ言葉です。

 若い頃は隣の芝生が青く見えるものですが、一度思い定めたら、誰がなんと言おうと二心なく貫いていくことが大事です。 

 これはきょうのテーマである「人生は心一つの置きどころ」という言葉にも繋がると思います。各々が一つのことをひたすら一所懸命やっていく。

 そういう心を一つに集約したものが企業であり、企業の業績に結実するとともに、そうやって仕事に打ち込むことは、自分自身のためにもなるのです。その決意を固めるために私は常々

「心の中に佐渡島をつくれ」とも言っています。

社長になった頃、仕事で新潟に行った時に佐渡島まで足を伸ばしたのです。

 流刑の地として有名な佐渡島には、たくさんの人々が流されましたが、能の世阿弥も流されていたということをその時初めて知りました。世阿弥は佐渡島という逃げ場のない場所で何年にもわたり極限の暮らしを余儀なくされました。勝手な想像ですが、世阿弥にとってあの佐渡島での流刑生活があったからこそ、能楽を世界的な文化に高めるほど思想的な深みを得たのではないかと思うのです。

 我々は目標を設定しても、必ずしも思い通りにいくとは限りません。そうなるとエクスキューズ(言い訳)が出てしまいがちですが、それを自分に許してはならない。世阿弥が逃げ場のない佐渡の流刑生活を経て能楽を大成したように、心の中で絶対に後には引かない決意をしなければなりません。それによって自分を高められ、厳しい目標も達成できるのです。そのためにも、「井の中の蛙大海を知らず」という言葉がありますが、これに

「されど天の深さを知る」と付け加えなければなりません。

大海を知らなくてもいい。自分の持ち場を一所懸命掘り込んでいくことで、すべてに通ずる真理に達することができるのです。

 西郷南洲や大久保利通が、情報のない時代に天下国家のみならず、世界情勢までも知り得たのは、やはり自分のいる場所をとことん深掘りしていったからだと思います。

 一芸を極めた芸術家が語る言葉に万鈞の重みがあるように、我々も自分の仕事に打ち込むことで天の深さを知るのです。

 

 

 

 「創業理念の再検討」

         牛尾治朗(ウシオ電機会長)  『致知』2013年1月号   特集「不易流行」より

 

私は三十三歳で会社をつくった時に三つの経営理念を掲げました。

一つは、会社の繁栄と従業員の人生の充実が一致する経営をしようということ。

二つ目が日本の中堅企業から世界の中堅企業になろうということ。

そして三つ目が、安定利潤を確保して研究開発を通じて社会に貢献すること。

この三つを変えてはならない当社の経営理念として貫いてきたのです。

ところが最近は、人生の充実といっても社員それぞれ非常に多様化してきましてね。会社の繁栄と一致させることが難しくなってきたんです。

それから、二つ目の世界の中堅企業へという理念については、いま急激に技術が高まっていて、グローバルベースでは新製品の開発にかかる金額も桁が一つ大きくなってきているんです。これまで当社はどこの系列にも属さない独自ブランドとしてやってきましたが、今後は他社との連携も必要になってきます。

さらに三つ目の安定利潤の確保というのも、コンスタントな収益は連結結算ベースで達成することが可能であり、個別の会社がすべて安定利潤を確保し続けることは困難な時代になってきています。

そういうわけで、間もなく迎える五十周年の節目に、創業理念を再検討しようと作業中です。不易として大事にし残すべき部分と、二十一世紀型に変化させる流行の部分の区別を明確にする必要があると考えているのです。守るべき部分を堅持しつつ、常に変わり続けていく。

政治も企業経営も、リーダーは目まぐるしい時代の変化に翻弄されることなく、不易流行をしっかり弁えて道を切り開いていかなければなりませんね。